僕は子どもの頃、テレビっ子だった。
暇さえあればテレビを見ていたのだが、そのとき漠然と抱いていた思いは「ビートたけしくらい成功してないと幸せにはなれない」というものだった。
小さい子どもだったから、特に根拠とか無い。
ただ、テレビの向こうの芸能人くらい成功してないと、その先にある幸せにたどり着けないと思っていたのだ。
その憧れの対象は年齢を重ねる毎に変わっていくのだが、○○の先に幸せがある、という期待感はずっと持ってきたように感じる。
これは、なかなか不幸な考え方だ。
ある意味絶対に辿り着けないものに向かって歩き続けるようなもので、歩いている途中には幸せが無いのであれば、結局ずっと幸せではないことになる。
捻くれた考え方かもしれないが、アイコンを常に生み出して人々を消費行動に走らせる現代社会に見事に洗脳されているとも言えそうだ。
そう、幸福になるなら、自分以外の何者かになろうとするのでなく、凡人として、自分を生きる方が余程効率的だろう。
でも僕たちは常に「憧れ」に晒され続けていて、こっちから情報を取りにいかなくても向こうから押し付けくるような社会だ。
凡人として生きるというのもなかなか難しい。