世の中には責任感が強い人が多い。
それは「責任感が強いことが良いことだ」と基準があるからだと思う。
すると「できて当たり前」の価値観が広がってしまう。
それとセットで「できない奴は価値が無い」という恐ろしい価値観ができてしまう。
この価値観の恐ろしいところは、世間だけでなく、自分の中にもインストールされている、ということだ。
「世間はそうかもしれんが、私はそう思わないから大丈夫」とはっきり言える人、どれだけいるだろうか?
たぶん、ほとんどいない。
責任感を持つことは「コミットする」という響きから分かるように、かっこいい。
仕事を安心して任せることができる人と見られる。
だから、「窮屈だな」と思いつつも、責任感を持つことは人気者になるために、またはハブられないために必須となる。
でも、もう気付いている人がごまんといる。
責任感を持つこと、心から疲れるのだ。
でも手放せない。
これまで持ち続けたサンクコストなのか、ハブられることの恐怖なのか、怖くて手放せない。
でも大丈夫。
勇気をもって手放しても問題無い。
なぜなら、それまでの責任感は「ちゃんとやるべき」にすぎず、手放したところで、多くの人は「ちゃんとやりたい」と心から思うから。
「ちゃんとやる」ことが幸福であると、知ってるから。
だからちゃんとなる。
心配ない。
だから責任感は、もう要らない。