「身の丈で生きる」ことは負け犬なのか?

「身の丈で生きる」と聞くとマイナスイメージが強いですよね。

僕もずっとそうでしたし、今でもけっこうそう。

自分の限界を決めて努力しない言い訳に聞こえたり、世を捨てた人の境地の言葉を聞いているような感覚がありました。

「なりたい自分を目指して成長する」という人類が共通して目指さなければならない理想の姿もあります。

その道を追求して結果を残した人は「かっこよく」見えますし、その道からドロップアウトした人は「負け犬」のように見えます。

でも、果たしてそうなのでしょうか?

・今、「成功者」として輝いて見える人は、瞬間瞬間を「身の丈で生きた」結果として「成功」しているのでは?

・瞬間瞬間を「身の丈で生きた」ような1日にいては、理想の状態と遠くてもどこか充実感のある気持ちになっているのでは?

たぶん、そう。

自分で「こうなった状態が成功」と決めつけて、そうなってない自分を残念に思うだけ。

その際に「○○が悪い」と環境が悪いと思っているだけ。

なぜならば、そう思うと自分が楽でいられるから。

ああ、まったくもって僕がそうです。

自分が「すごい奴」でないといけないから。

「すごい奴」でない自分は環境のせいだと、自分を慰めてる。

これは僕の防衛本能だ。

僕自身がほどほどで生きていくための防衛です。

ああ、「身の丈」で生きていく勇気が、リラックスが僕も君も必要なんだと思う。


kotetsu

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