前回は性悪説を軸にした制度(性悪説制度)と、性善説を軸に置いた制度(性善説制度)の違いを説明しました。
良いことづくめのように見える性善説制度ですが、仕掛けがあるから成り立つということについて、今回は書いていきます。
性善説制度の仕掛けとして必要な事は、制度設計の目的から逸れるようなことが起きたら、いつでも止められる、または変えられるようにしておくことです。
一度でもフリーライドする人がいたら制度を廃止することを事前に発信しておく、そして実際にそのようなことが起きたら迷わず廃止します。
一人の「悪い人」のためにみんなが犠牲になっていいのか?冷たくないか?と思われるかもしれませんが、ここで躊躇すると制度は腐ります。
たとえ素敵な制度が無くなったとしても、制度を続けるのも止めるのも自分たち次第である、という事実を残す方が大切です。
もしも未練で残してしまうと「別に守らなくてもいいんだ」という前例ができてしまうので、他の性善説制度の価値まで下げしまうということにもなるのです。
また、フリーライドする人が現れなくても、目的通りに制度が機能していなければ変更する、ということも事前発信しておけば、制度が既得権益化しないでしょう。
その仕掛けがあることによって、みんなが自然と制度を守ろうとします。
性善説制度は無くなってしまうと、みんなが困るものです。
古参の人は後から組織に加わってくる人に対して「なぜ守らなければいけないのか」と、教育係までしてくれます。
これって結局、性善説の根本のところなんですが、みんなを子供扱いせずに、セルフマネジメントできる大人として信用することなんですね。
与えられたものに乗っかるのではなく、制度を続けるも止めるのも自分たち次第、どちらも選択できるという状態にしておくことで、自然と自己管理能力は高くなっていくでしょう(これまでその文化がなければ時間はかかりますが、いつか必ず効果は出てきます)。
みんな信用されていることを有難く感じるので、その組織に対する愛着も湧いて強い組織づくりにもつながります。
とは言え、幼少期のころから我々は性悪説制度に慣れ親しんでいます(笑)
学校の校則なんて最たるものです。
古い日本的な会社に勤めている方であれば、自社の制度のほとんどは性悪説制度だったりするでしょう。
余程の環境(スタートアップ、外資、または先進的な考えをする仲間ばかりの組織に属している)ではない限り、もし性善説制度を始めるのであれば、実験的にスモールスタートすることをお勧めします。
実験的にやってみてダメだったらすぐやめる、という前提であれば、導入に抵抗は少ないでしょう。
やってみるとこれまで書いたように受け入れやすいものなので、スムーズに全体へ広げることができるでしょう。
具体的事例までは書けませんでしたが、性善説制度の導入をお勧めさせていただきましたが、言うは易しで、それぞれの組織の歴史、強み、好き嫌い、目指すところなど、考えなければならないことはいっぱいあります。
ただ、性善説制度は人の心理的な動きに逆らわない自然な制度ですので、どんな組織であれ、効果は見込めるでしょう。
制度でなくても、なにか決まり事を作るときには、性善説をスパイス程度にでも加えて頂ければ嬉しいです。