「新しい」も「古い」も、個人の価値判断だったり、流行というよく分からん潮流から導かれるような怪しい言葉だが、結論としてはトップダウンの組織は「古い」と言えよう。
正確には、古くなったのではなく、そもそも間違った定義だったというべきか。
そもそも、人類に上も下も無い。
「たまたま」「役割として」上と下が設けられていて集団行動ができた、というのが真実だろう。
そこに勝手にありもしない「価値」を付与して、偉そうにしたり、卑屈になったりしたのだ。
であれば、これからは真実としての組織に近づくことになるのだろうが、何をもって「真実」とするか、である。
私の想像だが、それは上のポジションを自分たちで選出して据えるような組織になっていく、と思われる。
自分たちが仕事をしやすいように、自分たちで考えて「上の人」を決めるのだ。
「あれ?今でも国単位の民主主義でやってるじゃん?」「それを会社等の組織でもやるの?」と問われれば「イエス」である。
ただし、現在の日本の民主主義は本来の民主主義とは程遠い。
本来の民主主義とは、一人一人が主語を「我々が」に置き換えて物事を考え、行動する仕組みである。
これは超絶高度な思想であり、それを1.2億人に期待するのは酷であるというのは誰もが実感するだろう。
人間のアニマルな性質は、必ず個人のエゴや親しい者への利益誘導に向かってしまうから。
(これを「理性的に」「人間的に」修正するのは、宗教だったり、人文学だったりする)
(昔の日本は主語を「我々が」に置き換えることは得意だったと思うが、宗教が壊滅的になってしまった現在においては、別のアプローチが必要だろう)
ということは、会社等の組織単位で本来の民主主義をやることになる。
自分たちで上を選出するということは、社員全員が主語を「我々が」に置き換えるという高度な自分事で動くということだ。
トップダウンの時は楽だった。
なぜなら、何か起きても自分事ではなく、他責にできたから。
「あいつが悪い」「あほだ」と批判だけしていれば楽に生きていけた。
それができなくなるので苦しいのだが、役割分担にすぎないという本来の形に戻るだけなのだ。
おそらく、これに気付いて仕組みとして取り入れる会社が今後は強くなる。
社員全員が他責にすることなく、自分事で動く組織。
言うは易く行うは難しだが、この流れは止まらない。
なぜならば、働く目的(貢献間によって幸福を感じる)を最大限に感じられるのがこの方法だからである。
それに人類が気づき始めた。