前回は、パワハラ防止法が施行されたことによって事業主に対応が義務付けされましたが、大切なのはひとりひとりの行動の変化だと書きました。
今回は、自分がこれまで見てきた、聞いてきたことから感じるところから、個人としてパワハラ加害者にならないための心構えを、3つ挙げさせていただきます。
※もちろんですが「これをやればパワハラ加害者にはならない!」という類のものではありません💦
一つずつ見ていきましょう。
遠い世界のことではありません、私も含めてすべての人が加害者になる可能性があります。
年次が下であっても関係ありません。
たとえばパソコンに詳しい若手が、詳しくない年長者に教えるときに「そんなことも分からないんですか?」と繰り返し追い込むことで加害者になることだってあります。
どんな立場の人であっても、自分事として考えていく必要があります。
特に年配(私含めて・・・)の日本人はこれが苦手です。
昔は、共通の時代、共通のコンテンツ、共通の教育で生きてきて、阿吽の呼吸で話を合わせられるのが当たり前でした。
「自分もこう思ってるんだから、相手もこう感じるだろう」で物事を進められる場面が多かったのです。
でも、時代は変わって、世代の幅はより狭くなって世代間の格差も大きくなり、みんなが見るTV番組もなくなり、サービスはより個人にフォーカスして届けられるようになりました。
世の中に価値を提供し続ける組織づくりのテーマとして、ダイバーシティが重要視されるほどです。
価値観がバラバラになっている時代において、いかに価値観を共有しないひとたちを集めるか、みんな必死になっているのです。
もはや、阿吽の呼吸というのは存在しない、くらいの感覚でちょうどいいでしょう。
「相手も自分と同じ感覚でいるはずだ」と思っていても、相手は全く違うとらえ方をしていることは、少なからずあることです。
今回のパワハラ防止法はパワハラの定義をはっきりさせることによって、曖昧だったパワハラの線引きができるようになったので、ある意味なんでもかんでも「パワハラだ!」とは判断されない(言えない)ようになりました。
ですが、やはり被害者保護の側面が強いものであり、あなたでなく、相手(被害者)の感じ方にゆだねることになります。(もちろん一連の発端は加害者側にあることが多いですが)
相手があなたの行動をどのようにとらえるか、言い換えれば、相手があなたのことをどのように理解しているのか、が起点なのです。
「自分という人間は、とっくに相手に理解されている」と思って行動しても、相手はあなたのことを理解しておらず、あなたが意図するところと全く違うとらえ方をしてしまいます。
相手があなたを理解するのは、あなたが想像しているよりはるかに時間がかかるものだ、というくらいのスタンスでちょうどいいのです。
パワハラ防止法が施行され、パワハラの定義が明確化されました。
事業主の対応は義務化されましたが、大切なのは我々自身の行動変化です。
我々がパワハラの加害者にならないための3つの心構えを書かせていただきましたが、共通することは、相手と対等にコミュニケーションをとることの大切さ、です。
阿吽の呼吸が通じず、相手が自分のことを理解するのに時間がかかるのであれば、自分から相手と対等にコミュニケーションを取るしかありません。
そういう意味においては、法律ができる前と大切なものは変わりありません。